2017.08.13〈9946〉

子どもの頃の夏休みは飽きるほどに長く、お盆には決まって、祖母が待つ、父の故郷に行っていました。この茅葺き屋根の下に、私のバリアフリーの原点があるのではと、最近になって気付いたのでした。

2017.08.13 父の故郷、山形県西村山郡大江町。正面の茅葺き屋根が父の実家です。(2000年10月撮影)

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2000年の10月にひとり、父の故郷を訪ねました。茅葺き屋根の実家の茶の間の中央には、囲炉裏 (いろり) があります。この囲炉裏は父の10代のころの仕事だそうです。

囲炉裏には不思議な魅力があります。薪 (まき) をくべると、私をもてなす祖母、叔父や叔母の昔話が始まりました... 。

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山形県西村山郡のはずれにある集落に父は生まれ、母子家庭であったために、中学校の卒業後、すぐに大工の修行を始めたそうです。

修行を終えた父が、大工としての腕試しをするには、この集落は狭すぎました。

父はこの集落を出て東京に向かう決心をしたのですが、頼りにしたのは、東京都練馬区にいる遠縁の親戚からの年賀状でした。

僅かな大工道具、片道分の電車賃、その年賀状を手にして、父は山形駅に向かい、夜行列車に乗りました。

それは昭和30年代の初め、父、20才の夏。私がこの世に生を享ける7年前のことです。

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なぜ母子家庭なのか。話は父が生まれた頃の、昭和10年代の中頃に戻ります。

兄弟は女は4人、男は父ひとりの5人兄弟です。ふたりの兄は、幼くして亡くなりました。

3人目の息子である父に、あえて女性の名前に多い「満代(みつよ)」と名づけたそうです。

幼い男の子たちをあの世に連れて行く、何者かを欺こうと祖父は考えたのでした。

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祖父は木こりでした。主に杉の木を伐採して町の大工さんたちに売り、生計を立てていたそうです。

父が3才のとき、祖父は、いつものように数人の仲間たちと、伐採のために山に入りました。

山は危険が多いので、万が一のためにひとりでは入らないことになっていたそうです。

いくつもの山を越えると、各人にわかれ、各々が目当ての木を探し始めました。

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祖父は気に入った杉の大木を見つけたのでしょう。

あらかじめ、その大木を倒す場所を決めると、斧で切り始めました。

常に安全に伐倒させるかを確認しながら、斧で切り込みを大きくしていきます。

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何かが起こりました。杉の大木は祖父の方に倒れかかってきました。

慌てて右手で幹を押さえましたが、持ちこらえるわけはなく、祖父は杉の下敷きになり、身動きができなくなりました。

そして、祖父は助けが来るのを待ちました。

その時の祖父の気持ちを、孫である私には到底、計り知れません。

ただ、そんな時でさえ、満天の星空や遠くで鳴く鳥たちは祖父にやさしく、祖父は気持ちを持ち続けることができたのでしょう。

これは孫である私の、そうであってもらいたかったという願望なのですが... 。

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深い山に入るときは数日間、野宿することが災いし、祖父が帰らないことに気づき、仲間がふたたび山に戻ったのは、三日ほど経った後だったそうです。

祖父は病院に運ばれると、医師から右腕を切断することを強く勧められたそうですが、祖父はそれを拒否しました。

その理由を尋ねると「医療費がなかったから」と言われましたが、私は別なことを考えました。

「利き腕である右腕を失ってしまえば、子どもたちを育てることができなくなってしまうのでは... 」と、祖父は考えたと思うのです。

昭和10年代の中頃、雪深いこの地で5人の子どもたちを養う主人が、利き腕である右腕を失うということは、どれ程のことだったのでしょう。

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そして数日後、わずかな可能性に賭けた祖父は、息を引き取りました。

当時、3才だった父にとっては、記憶に残らない祖父との別れでした。

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私は一時期、私は木こりや大工などの仕事は、自然を破壊する仕事だと考えていました。

しかし、漁師が魚を守るように、祖父は再生可能な範囲で、家族を養うだけの範囲で、自然に敬意を払いながら、その仕事をしていたのだと考え直しました。

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バリアフリー住宅。「いつまでも住み続けられる住まい」をつくることこそ、今の時代の大工・建築家の役割だと、私は考えています。

そして、この祖父の存在が、今の私の仕事である、バリアフリー住宅の設計や施工に、大きな示唆を与えているのではないのか。

もし、祖父が片腕を失ったとしても、身体の機能が失われてしまうようなことがあったとしても、その人に寄り添う工夫を考え抜けばいい。


昨日、出向いた、東京都練馬区の住まいてさんとは10年らいのお付き合いです。

94才になるご主人は、私が到着すると、いつものように、車いすで出迎えてくれました。

ご主人は打ち合わせが始まると、ほほ笑みながら眼を閉じました。

私は高齢者の方の仕事をすることが多いのですが、いつも高齢の方に出会うと、長い人生の中でどんな物語があったのだろうと想像します。

住まいてさんのお宅から我が家への道すがら、打ち合わせの内容を思い返していました。

ふと、父の故郷の茅葺き屋根の実家のことが思い浮かびました。

この茅葺き屋根の下に、私のバリアフリーの原点があるのではと気付いたのです。


「せぬ所が美しき」。乱形石を張り詰めたアプローチが美しく見えるとしたら、それは石が持つ素材としての美しさだけではありません。石と石とを繋いでいる「目地」にこそ、その美しさの秘密があるのです。