2017.08.15〈9944〉

さて、群馬県立近代美術館へと入っていきましょう。このエントランスは、美術館から少し離れた位置にあり、回廊(コリドー)を歩いていくことなります。とても大きな美術館なのですが、その大きさと対比させるかのように、コンクリートのエントランスは、とても小さく佇んでいます。

2017.08.15 関越自動車道「高崎玉村スマートI.C.」(ETCのみ)で降りると、高崎方面に向かい10分ほどで到着します。この美術館の近くにお住まいの方の住まいを造ることになりました(2014.05.25)

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コンクリートで出来た小さく薄暗いエントランスの奥には続くのは、ガラス貼りの明るい回廊(コリドー)。

この回廊を、少し歩くと美術館ホールへ到着します。

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美術館ホールに入った後も、明るい回廊からの直線は、そのまま階段へとつながっています。

右側には、鑑賞券を買う窓口があります。

撮影していいか尋ねたところ、このホールなら構わないとのこと。

左側には明るく広いホールがあり、その奥にある展示室の入口が見えています。

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2階へと続く階段です。左右の壁は白い大理石貼りの豪華な仕上がりです。

1階から2階までの高さが高いので、階段の段数も相当なものになります。

踊り場を数か所つくることによって、階段のボリュームを小さく見せています。

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対して、広いホールは、コンクリートのままの壁です。

展示室の入口カウンターのある、正面の突き当りの壁のみが、階段と同じ大理石貼りになっています。

よく見ると、この大理石貼りの突き当りの壁には、階段状の複雑な段が付いています。

壁というよりも、ひとつのオブジェのようです。

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しばらく、この大理石の壁を眺めていると、美術館のボランティアの方から話しかけられました。

「作品を眺めるのではなく、この突き当りの壁ばかり見ているひとは珍しい」と、私に向かって言うのです。

「この壁には、建築家のメッセージがあると思いませんか」とも。

そして「プラトンの洞窟の比喩をご存知ですか」と尋ねられました。

洞窟に住む縛められた人々が見ているのは「実体」の「影」であるが、それを実体だと思い込んでいる。

「実体」を運んで行く人々の声が洞窟の奥に反響して、この思い込みは確信に変わる。

同じように、われわれが現実に見ているものは、イデアの「影」に過ぎないとプラトンは考える。

ウィキペディア:洞窟の比喩

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洞窟の比喩。私は初めて聞く言葉でした。ボランティアの方の話は続きます。

「この壁の大理石という素材自体には、大きな意味があるのではない」

「ホールの外に拡がる景色、外の「実体」を写し込むために、大理石を貼ったのではないのか」

「外の景色を写しこむ『スクリーン』としての役割こそ、この大理石の持つ意味ではないのか」

と、ボランティアの方はお話くださり、私に意見を求めているようでした。

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「なるほど」と、私は答えます。

「なるほど、階段では左右の壁に大理石が貼ってあるのも、」

「左右の壁に自分自身を写り込ませるため、なのかも知れませんね... 」

「他者を批評するのではなく、自分自身を批評しなさいと... 」

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大きなガラスの向こう側に拡がる「実体」。

突き当りの壁に写り込む「影」を目にすることで、

はっと、背後に拡がる「実体」に気づくことができる。

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このホールは、そんな「洞窟」なのでしょうか。

すみません。話はここで終わりです。

近いうちに、もう一度訪ねて、続きを書きます。