『雨ニモマケズ』は、賢治の「詩」というより「書」である

「雨ニモマケズ」は愛用の手帳に、鉛筆でメモのように書き留められました。「11.3.」との書き込み。書かれたのは昭和6年11月3日頃なのでしょう。賢治35才、亡くなる2年ほど前です。黒い手帳は他にも数冊ありますが、「雨ニモマケズ」が書かれたこの手帳は、東京で病に倒れ花巻の実家に戻り、床に伏せる日が続く頃に使用していたものです。

『雨ニモマケズ』は、賢治の「詩」というより「書」である 当麻喜明さんから、見せてもらったのは、この手帳の復刻版です。賢治は『そういう私だ』と言っているのではなく、『サウイフモノニ ワタシハナリタイ』と願う、賢治が心の奥底から絞り出した言葉(2017.02.21)


私が「雨ニモマケズ」を初めて知ったのは、国語の教科書でした。「強くたくましく生きる」お手本のように書かれていたので、賢治はきっと、そういう人だと思いました。

しかし、それとは反対に、床に伏せる日が続く中で書かれた、賢治が自分自身に言い聞かせるために書いたものだと、私が知ったのは最近のことです。

賢治が『こうありたい』とやり続けたこと、しかし、『できあがっていない』こと、未完成であったこと。

けれども、たとえ自分が目標に到達できなくても、自分が信じたことを続けてゆくことが大切だということ。


農民芸術概論綱要の中に、『求道すでに道である』『永久の未完成これ完成である』という言葉がでてきます。この言葉を大切に考えてみたいのです。


雨ニモマケズ手帳

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ

慾ハナク

決シテ怒ラズ

イツモシヅカニワラッテヰル

一日ニ玄米四合ト

味噌ト少シノ野菜ヲタベ

雨ニモマケズ手帳

アラユルコトヲ

ジブンヲカンジョウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリ

ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ蔭ノ

小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ

イツモシヅカニワラッテヰル

東ニ病気ノコドモアレバ

行ッテ看病シテヤリ

雨ニモマケズ手帳

西ニツカレタ母アレバ

行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ

行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ

雨ニモマケズ手帳

北ニケンクヮヤソショウガアレバ

ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒドリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボートヨバレ

雨ニモマケズ手帳

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ

ワタシハナリタイ

雨ニモマケズ手帳

また、この手帳には、中国のお寺のような建物や、素朴な小さな家のスケッチもありました。『小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ』の小屋とは、親が建てた高台の別荘(後に移築された賢治先生の家)ではなく、こんな小屋だったのでしょうか。

雨ニモマケズ手帳

また、何かの理由で、賢治自身が破ったページもあります。生前、この手帳の存在は、家族でさえ知らなかったそうです。そんなの手帳の1ページを、それでも破ったのは、どんなことが書かれていたのでしょうか...。


「雨ニモマケズ」は、朗々と自信たっぷりに読み上げる詩ではなく、ときにはかみしめながら、また声には出さずにそっと、自分の心に語り掛ける詩だと思います。

また一方で、いつまでも続けて、進んでいくことをやめないこと、褒められなくても行(おこな)っていくことを決心した、「詩」というより「書」であるとも感じています。


賢治が生まれた1896年は、明治三陸地震が起きた年でした。賢治が旅たった1933年は、昭和三陸地震が起きた年でした。

2011年の東日本大震災後の後、『雨ニモマケズ』は、復興へ向かう人々の心の支えとなりました。兼さんの朗読です。