住まいの授業(空気を設計すること) 2017.10.04〈9894〉

『壁や床、窓や家具、そのものに価値がある訳ではない』『住宅を設計するとは、空気に形を与えることなんだよ。空気を設計することなんだよ』。とある建築家の事務所、30年も前の話です。その建築家からの質問として受け止めた私は、尋ねました。「なるほど、いい住宅かどうかは、目を閉じた時にわかるのですね」。

住まいの授業(空気を設計すること)  2017.10.04 京都、大徳寺高桐院の茶室。二畳台目中柱台目切(2003.10.29)

その後、その「空気」を、実感する機会に恵まれました。

建築家、吉村順三の設計した、とある住まいを訪ねた時のことです。

玄関ドアを開けていただき、玄関の中に招かれた瞬間、

玄関から住まい全体に、満たされている「何か」を、すぐに感じました。

その「何か」とは、満たされている「空気」というよりも、

私を包み込んでいる、触れることのできる、「水」のようでした。

初めて訪ねたその住まい、玄関で住まいてさんと会話しているはずの私、

なのに、水中にいるような気がして、意識が遠のいているのです。

これが、「空気」なのか... 。


「空気を設計すること」とは、単に「風通しをよくすることではない」。

京都を訪れた時も、その「空気」を、実感することができました。

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上加茂神社の細殿は、柱が整然と並ぶだけで、壁はありませんが、

細殿の中の空気が、外の空気とは、はっきりと違うのがわかりました。

実際の風の流れではない、「空気」の「水平な流動」を感じるのです。

それを強調しているのが、屋根や手すり、その内側の整然に立つ柱なのでした。

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また、「空気」は、建物の内部だけではなく、外部で感じたこともありました。

この石庭では、縁側と石庭とを満たす、「空気」を感じることができました。


建築家が、「空気」という言葉に託したもの。

以後、「空気を設計すること」は、私から離れることはありませんでしたが、

同時に、欠けている何かを感じ、それを補おうと試みます。

暖かさです。そして、休息です。

それらは、結婚してわかったことでした。

時間切れです。次回に続きます。

住まいの授業