私も障害を持っていると、気づくこと〈121〉

私は自分自身を「障害者ではなく健常者」の側にあると、考えていることに気づきました。私自身はほんとうに「健常者」なのでしょうか。ユニバーサルデザイン の提唱者である、ロナルド・メイス。「ユニバーサルデザインの展望」と題された、メイスが亡くなる直前の最後のスピーチ、「ユニバーサルデザイン」について定義する場面です。

私も障害を持っていると、気づくこと


ユニバーサルデザイン(Universal Design)

ユニバーサルデザインは、広くユーザーを定義します。

特に障害を持つ人々ではなく、すべての人々に焦点を当てています。

「誰もが障害を持っている」という考えを前提としています。

私たちは、それを認めたいかどうかに関わらず、

年齢を重ねて能力を失うにつれて、

私たちは皆、障害を持つようになります。

ロナルド・メイス『ユニバーサルデザインの展望( A Perspective on Universal Design)』

「心のバリアフリー」は、「私も障害を持っている」と気づくこと

一般的に、「障害者」と「健常者」という言葉は、

対比する様に使われています。いわば、この世間の常識を、

「障害を持っている人」と、それ以外の人を分けようとする、

世間の常識を、メイスは打ち破りたかったのではないでしょうか。

「心のバリアフリー」は、「私も障害を持っている」と気づくこと

なぜならば、年齢を重ねて能力を失うにつれて、

私たちは皆、障害を持つようになるからだというのです。

50代となった、私自身で考えてみましょう。

日々現場に通っていると、以前より疲れやすくなりました。

何よりも困るのは、スケールの1mmの目盛りが読めないことです。

今までメガネを掛けなかった私は、老眼鏡が手放せなくなりました。

老視です。いわば「視力に障害」ができたのです。

「心のバリアフリー」は、「私も障害を持っている」と気づくこと

「私自身は健常者なのだろうか」という自問に対しての答えは、

私もまた、「障害を持っている人」だということなのですね。

ですが、老視という「視力障害」を持つ身となりましたが、

「メガネ」により、今までと同じ様に私は生活することが可能です。

「心のバリアフリー」は、「私も障害を持っている」と気づくこと

「メガネ」。私はメガネから、「車いす」を連想しました。

「メガネ」が、老視という視力障害を補ってくれる様に、

「車いす」が、下肢の機能障害を補ってくれる。なるほど「メガネ」は、

車いすユーザーにとっての、「車いす」と同じなのかもしれないと。

「心のバリアフリー」は、「私も障害を持っている」と気づくこと

「メガネ」を必要とする人を「障害者」とは、あまり言わないのに、

「車いす」を必要とする人を「障害者」と、言うのでしょうか。

それは下肢の機能障害を持つ人は、「車いす」を利用するだけでは、

まだ、自由に移動できないからではないでしょうか。

建物や歩道、交通機関など、段差を始めとした様々な「バリア」が、

その人の周りに、まだまだ残っているからです。

 

「障害」の定義は、その人にあるのではなく、

その人の周りの環境によって、決定されるものでしかない。

そして、それは『変えられる』ものである。

 

「障害者」と「健常者」とを分かつもの。私はそう考えました。

「心のバリアフリー」は、「私も障害を持っている」と気づくこと

だとすると、私の生業である「住まいづくり」によって、

視力障害を持つ人を、「メガネ」が障害者と言わせない様に、

下肢障害を持ち車いすを必要とする人を、「住まいづくり」によって、

「障害者と言わせない様にできる」と、私は信じています。

「心のバリアフリー」は、「私も障害を持っている」と気づくこと

「住まいづくり」の仕事では、私は「障害の有無」に関わらず、

いつも誰でも、ひとりの住まいてさんとして、お迎えしています。

私はこの態度を、「心のバリアフリー」だと考えています。