人間のための住宅(どこかにつながる窓) 〈9897〉

2017.10.01

『ダイニングテーブルには、ミルクが入ったグラスが置いてあって、そこに窓から朝日が差し込んできて、グラスがキラキラっと光ったら、ちょっと、気持ちいいでしょ!』。住宅作家・宮脇檀(まゆみ)の語る住宅論は、その4ヶ月前に、設計事務所を開設したばかりの、21才の私の心に、深く染み込んでいきました。

人間のための住宅(どこかにつながる窓) 窓から朝日が差し込むダイニングテーブル。こんな、ささやかな気持ち良さが、最近の住まいでは、切り捨てられている感じがするのです。「人間のための住宅のディテール」と題された講演会は、1987年4月、新潟で開催されました。


1980年代後半のバブル期、設計事務所に勤務するも、夜も帰れない状態でした。

それでも資料を持ち帰り、夜間や休日も、自宅で建築の勉強を続けました。

その中で、気付いたことがありました。

世界の巨匠、「フランク・ロイド・ライト」も、「ル・コルビュジエ」も、

「住宅に始まり住宅に終わった」ということでした。

吉村順三や宮脇壇など、日本の建築家を知ったのも、この頃でした。

宮脇壇のいう「住宅作家」が、自分の目指す道だと直感し、勉強を続けながらも、

「大滝建築事務所」を立ち上げたのは、1986年12月。私はまだ、21歳でした。


すみません。話が外れました。我が家の出窓の話に戻ります。

窓の大切な役割について、書きたかったのです。

引越しからひと段落した、2006年に撮影したダイニングと出窓です。

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ダイニングは、東側の道路に面した、北東の小さなスペースです。

「4帖しかないダイニング」の天井高は、215cmと低くしました。

「スキップフロア」ならぬ、「スキップ天井」ですね。

天井の高さを、低くしたにもかかわらず、狭く感じさせないのは、

窓から朝日が差し込む、この出窓のおかげでもあります。


2006年から、時間を進めてみましょうか。2011年3月16日の夕方です。

2011年3月16日、第2グループの我が家は、18時20分からの停電です。

まるで、我が家だけ取り残されたような、ろうそくを灯しての夕食となりました。

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東日本大震災から数日後、関東地方では一日に3時間ほど、

計画的に停電させることになりました。この「計画停電」は、

関東地方を5グループに分け、計画的に順番に停電させていくものでした。

出窓には常に、携帯電話とラジオを置きました。

震源地から遠く離れたこの地でさえ、心配な日々が続きましたが、

どんな時でも、どこかとつながり、我が家だけではないのだと、

思わせてくれる優しさを、この出窓が持っているように感じました。


2011年から、時間を進めてみましょうか。2015年12月24日の夕方です。

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我が家でのクリスマスです。天井が低いので、娘でも天井に手が届いたようです。


2015年から、時間を進めてみましょうか。2017年1月1日、元旦です。

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前年に出窓のブラインドを取り外して、ガラスにかすみフィルムを張りました。

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今年も1年、楽しく過ごせますように。


そして、2017年10月1日の朝です。今日も早起きしました。

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出窓の脇のリビングの窓です。ローマンシェードに映りこむ、

サルスベリのシルエットは、雲ひとつない晴天を予感させます。

こんな気持ちいい日曜日、私は2階にこもり、この記事を書いています。

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最近、道路面に窓をつくらない方が、デザインが良いといわれる事があります。

しかし、そのような住まいでは、ご近所付き合いが難しくなりそうです。

カフカ自選の小品集『観察』の中で、窓について、こんな叙述がありました。

取り残されて生きているけれども、どこかにつながりを求めている人、

移り変わっていくと時刻、天候、職業などを考え始めると、

とにかく何でもいいから、自分を支えてくれるような腕が欲しい。

そんな気持の人 -- この人は、街にむいた窓が、どうしても必要だろう。

フランツ・カフカ『街にむいた窓』

私のような内向的な性格なら、その性格を補ってくれるような、

道路面にたくさんの窓がある、こんな住まいがぴったりでした。