障害は人にあるのではなく、環境にあり変えられるもの
〈102〉
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車いすユーザーのOさんのお住まいは、私が初めて造らせて頂いた、バリアフリー住宅です。私ひとりが設計したのではなく、Oさんとともに車いすで生活する上での問題点を、ひとつひとつ解決していきました。
2019.06.12
例えば、玄関室は狭いのですが、上がり框の段差をなくしたり、
玄関やリビングの引き戸の幅を広くして、バリアフリーにしました。
私がOさんのお宅に、久しぶりにお伺いした時のことです。
リビングで談笑していると、
「ピンポーン」と、チャイムの音が鳴りました。
Oさんが玄関室に出向くと、郵便局の方でした。
荷物だとわかると、Oさんは一旦リビングに戻り、ハンコを取り出し、
また玄関へ行って、荷物を受け取りました。
『ごめんなさいね』と、Oさんはすぐに、リビングに戻ってきました。
この一連の流れの中では、Oさんが車いすユーザーではなく、
健常者だとしても、全く同じはずでした。そこには、
「障害者」と「健常者」とを、分かつものは何もありませんでした。
取り立てる程でもない場面ですが、その時に気づいたのです。
「あっ、これがバリアフリー住宅なのだ」と。
バリアフリー住宅とは、特別な住まいではなく、
あたり前のことがあたり前にできる、住まいのことなのだと。
バリアフリーではなく、段差のある一般的な玄関室だったとしたら、
どうだったのだろうかと、我が家の玄関室に立って想像してみました。
「上がり框の段差がある」
→ 土間に下りられず、玄関ドアの鍵を開けることができない。
「狭い廊下、狭いドア」
→ 玄関室に行くために、何回も切り返しをしなければならない。
結果、来客を少しの時間でも、待たせることになってしまい、
きっとOさんは、来客に対して申し訳なく、思うことでしょう。
我が家の様な「バリアフリーではない」玄関室では、Oさんは、
健常者と同じ様には対応できず、「障害者」になってしまいます。
対してOさんのお住まいの様な、「バリアフリー」な玄関室では、
健常者とまったく同じ様に、来客を出迎えることができました。
下肢に障害を持つ車いすユーザーを、住まいづくりの工夫によって、
障害を感じさせない様にできると、私は確信したのでした。
「障害者」と「健常者」とを分かつもの、私はこう考えました。
「障害」は、その人にあるのではなく、環境にあり、
そしてそれは、変えられるものであること。
Oさんのお宅にお伺いした時の一場面、思いがけなく、
バリアフリーを再発見する、気づきがあったのでした。
私のバリアフリーの原点となった、Oさんから教わったこと、
その後に続く、たくさんの住まいてさんから教わったことを、
さらに続く、住まいてさんたちに伝えていくことこそが、
私の役割なのだと、考えるようになりました。
私はいつでも、この気持ちを忘れない様にしています。
仕事としてだけではなく、私のライフワークとして、
今造っているこの住まいが、最後の1棟なるのだとの思いで、
日々、バリアフフリー住宅に向かい合っています。
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