障害は人にあるのではなく、環境にあり変えられるもの〈102〉

車いすユーザーのOさんのお住まいは、私が初めて造らせて頂いた、バリアフリー住宅です。私が設計施工したのではなく、住まいてOさんとともに、車いすで生活のする上での問題を、解決していきました。

障害は人にあるのではなく、環境にあり変えられるもの


例えば、玄関室は狭いのですが、上がり框に段差はなくしたり、

玄関やリビングの引き戸の幅を広くして、バリアフリーにしました。

障害は人にあるのではなく、環境にあり変えられるもの

Oさんのお宅に、久しぶりにお伺いした時のことです。

リビングで談笑していると、

玄関室の方から「ピンポーン」と、チャイムの音が鳴りました。

Oさんが玄関室に出向くと、郵便局の方でした。

荷物だとわかると、Oさんは一旦リビングに戻り、ハンコを取り出し、

また玄関へ行って、荷物を受け取りました。

障害は人にあるのではなく、環境にあり変えられるもの

『ごめんなさいね』と、Oさんはすぐに、リビングに戻ってきました。

この一連の流れの中では、Oさんが車いすユーザーではなく、

健常者だとしても、全く同じはずでした。そこには、

「障害者」と「健常者」とを、分かつものは何もありませんでした。

障害は人にあるのではなく、環境にあり変えられるもの

取り立てる程でもない場面ですが、その時に気づいたのです。

「あっ、これがバリアフリー住宅なのだ」と。バリアフリー住宅とは、

特別な住まいではなく、こんな普通の住まいのことなのだ。


反対に、上がり框に段差のある、一般的な我が家の様な、

玄関室だったとしたら、どうだったのだろうかと、

来客を出迎える時を想像してみました。

障害は人にあるのではなく、環境にあり変えられるもの

「上がり框の段差がある」

 → 土間に下りられず、玄関ドアの鍵を開けることができない。

「玄関と繋がる廊下が狭い」

 → 玄関室に行くために、何回も切り返しをしなければならない。

「引き戸ではなく、幅の狭いドア」

 → 玄関室に行くために、何回も切り返しをしなければならない。


結果、来客を少しの時間でも、待たせることになってしまい、

きっとOさんは、来客に対して申し訳なく、思うことでしょう。

障害は人にあるのではなく、環境にあり変えられるもの

「バリアフリー」な玄関室では、車いすユーザーのOさんは、

健常者と全く同じく、振る舞うことができます。

対して、「バリアフリーではない」玄関室では、Oさんは、

健常者と同じ様には振る舞えず、

Oさんは、「障害者」になってしまいます。

例えば、機能障害を補うという点でいうのなら、メガネと車いすは、

同様なのかもしれません。なのに、

「メガネ」を必要とする人を「障害者」とは、あまり言わないのに、

「車いす」を必要とする人を、なぜ「障害者」と言うのでしょうか。

障害は人にあるのではなく、環境にあり変えられるもの

それは下肢の機能障害を持つ人は、「車いす」を利用するだけでは、

まだ、自由に移動できないからではないでしょうか。

建物や歩道、交通機関など、段差を始めとした様々な「バリア」が、

その人の周りに、まだまだ残っているからです。

だとすると、私の生業である「住まいづくり」によって、

視力障害を持つ人を、「メガネ」が障害者と言わせない様に、

下肢障害を持ち車いすを必要とする人を、「住まいづくり」によって、

「障害者と言わせない様にできる」と、私は信じています。


ひとりひとりに合わせた、ひとつひとつの住まい。

この住まいが、最後の1棟だと思いで造っています。

仕事としてよりも、私のライフワークとして、

バリアフフリー住宅に、日々向かい合っています。