私も障害を持っていると気づくこと〈122〉

ユニバーサルデザインの提唱者、ロナルド・メイス最後のスピーチの中の、「ユニバーサルデザイン」について定義する場面を読み、私は自分自身を普通、健常者であると考えていることに、疑問を持ちました。

私も障害を持っていると気づくこと


ユニバーサルデザイン(Universal Design)

「ユニバーサルデザイン」は、広くユーザーを定義します。

障害を持つ人々ではなく、全ての人々に焦点を当てています。

誰もが障害を持っているという考えを前提としているからです。

私たちは皆、認めたいか認めたくないかに関わらず、

年齢を重ね能力を失うにつれ、障害を持つようになるからです。

「心のバリアフリー」は、「私も障害を持っている」と気づくこと

普通であることとは、完全で、能力があり、自立していること。

「私には障害がある」とか「私は歳をとっている」というのは、

この社会では、ネガティブなことだと言われています。

普通と思われている人未満の人を、我々は軽んずる傾向があり、

「誰もが普通という定義に当てはまる」という、間違った前提

に立ち、デザインすることは正しくないことです。

ロナルド・メイス『ユニバーサルデザインの展望( A Perspective on Universal Design)』

「心のバリアフリー」は、「私も障害を持っている」と気づくこと

「障害者」と「健常者」という言葉は、対比する様に使われていて、

障害を持っている人と、それ以外の人を分け様とする世間の常識を、

ロナルド・メイスは、打ち破りたかったのではないでしょうか。

「心のバリアフリー」は、「私も障害を持っている」と気づくこと

50代半ばとなった、私自身で考えてみます。

日々現場に通っていると、以前より疲れやすくなりました。

何よりも困るのは、スケールの1mm目盛りが読めないことです。

メガネを掛けなかった私は、老眼鏡が手放せなくなりました。

老視です。いわば「視力に障害」ができたのです。

「私自身は健常者なのだろうか」の答えは、私もまた

「障害を持っている人」だということなのです。ですが、

老視という、視力障害を持つ身となりましたが、メガネにより

今までと同じ様に、私は仕事をし、生活することが可能です。

「心のバリアフリー」は、「私も障害を持っている」と気づくこと

「メガネ」。私はメガネから、「車いす」を連想しました。

「メガネ」が、老視という視力障害を補ってくれるように、

「車いす」が下肢の機能障害を補ってくれる。なるほどメガネは、

車いすユーザーにとっての、車いすと同じなのかもしれません。

「心のバリアフリー」は、「私も障害を持っている」と気づくこと

「メガネ」を必要とする人を「障害者」とは、あまり言わないのに、

「車いす」を必要とする人を「障害者」と、言うのでしょうか。

それは下肢の機能障害を持つ人は、「車いす」を利用するだけでは、

まだ、自由に移動できないからではないでしょうか。

建物や歩道、交通機関など、段差を始めとした様々な「バリア」が、

その人の周りに、まだまだ残っているからです。

「心のバリアフリー」は、「私も障害を持っている」と気づくこと

「障害」の定義は、その人にあるのではなく、

その人の周りの環境によって、決定されるものでしかない。

そして、それは『変えられる』ものである。

  

「障害者」と「健常者」とを分かつもの。私はそう考えました。

だとすると、私の生業である「住まいづくり」によって、

視力障害を持つ人を、「メガネ」が障害者と言わせない様に、

下肢障害を持ち車いすを必要とする人を、「住まいづくり」によって、

「障害者と言わせない様にできる」と、私は信じています。

「心のバリアフリー」は、「私も障害を持っている」と気づくこと

私のいつも住まいづくりの仕事で、「障害の有無」に関わらず、

ひとりの住まいてさんとして、お迎えしているつもりです。

障がいがあるのかないかが、一番大切なことではなく、

住まいてさんが心地よく暮らせる住まいを、どう実現させるか

私の仕事の目指すところであり、私が生かされている意味です。